はじめに
医療法人は,「医療法」の定めにより,適時に正確な会計帳簿を作成することが義務づけられている(「医療法」第50条の2第1項)。そして,この会計帳簿の作成にあたっては,「一般に公正妥当と認められる会計の慣行」(「医療法」第50条)にしたがうことが求められる。
この医療法人が会計帳簿を作成するうえでの「一般に公正妥当と認められる会計の慣行」にはいくつかのものがあるが,この記事では,2015年のいわゆる「第7次医療法改正」前後に作られた2つの「医療法人会計基準」について,その概要を整理する。
四病院団体協議会版「医療法人会計基準」
1つ目の「医療法人会計基準」は,2014年2月に,日本医療法人協会,日本精神科病院協会,日本病院会および全日本病院協会から構成される四病院団体協議会に設けられた会計基準策定小委員会が起草した「医療法人会計基準」(以下,「四病院団体基準」という)である。
この四病院団体基準は,その起草後わずか1ヶ月で「一般に公正妥当と認められる会計基準の一つとして認められる」ものとしてオーソライズされることになった(平成26年3月19日付厚生労働省医政局長発通知「医療法人会計基準について」[医政発0319第7号])。
四病院団体基準の成り立ちについて知るには,その直前の政治の動きを理解しておく必要がある。2013年11月1日に行われた衆議院本会議において,日本維新の会の足立康史議員から,次のような発言が行われた。
まだ広くは知られていませんが,この日本に存在する各種法人の中で,いまだに会計基準が整備されていないのは医療法人だけ。会計基準というのは,経営に客観性を与えるための枠組みであると同時に,課税所得の算定の基礎にもなるものであります。中小企業庁が取り組んできた中小企業の会計に関する研究会などもしっかり勉強していただいて,厚労省が主導して取り組むべきであります。 特に,医療の場合,85%は保険料を含めた公費で賄われているわけであり,利害関係者である納税者に対し十分な情報提供を行うという観点から,公開会社並みの情報開示を求めるべきではないでしょうか。 会計基準なき公費の投入は,いわば,パッキンなき蛇口から水を流し続けているようなものであると指摘をし,政府の明確な関与を求めます。
第185回国会衆議院本会議 2013年11月1日(国会会議録検索システム)
当時,いわゆる徳洲会事件が社会的に問題視されていたこともあり,医療法人におけるお金の流れに対しては,世間からも厳しい目が注がれていた。このような批判に対する,医療側からの1つの答えとして作られたのが四病院団体基準である。このことは,次の四病院団体基準の前文から明確に読み取ることができるだろう。
会計基準の制定や改正の論議においては,情報開示の詳細化の問題と会計基準そのものの問題が渾然一体となって行われることがある。しかし,現状の医療法人において緊急の課題は,会計基準の無いことによる,すでに公開されている財務情報の信頼性に疑問を呈されていることを払しょくすることにある。
四病院団体協議会会計基準策定小委員会「医療法人会計基準に関する検討報告書」2014年,2頁(厚生労働省「医療法人・異形経営のホームページ」)。
四病院団体基準が重視したのは,会計基準が存在しないことに起因する医療法人の財務面に対する疑問を払拭することにあった。このため,その中身については,基本的に以前から存在する病院会計準則の焼き直しとなっている。この点についても,その前文において「会計基準案そのものの内容は,あくまで現行の制度を前提とした。」(2頁)と述べられている。
四病院団体基準が策定されたことにより,会計基準がないという批判には応える結果とはなった。しかし,四病院団体基準の性格を理解するには,医療側が策定した一種の「自主規制」であること,その中身は前例踏襲を基本としていることという2点は常に抑えておかなければならないだろう。
省令版「医療法人会計基準」
2つ目の「医療法人会計基準」は,厚生労働省の省令として2016年に公布された「医療法人会計基準」(平成28年4月20日厚生労働省令第95条)である(以下,「省令基準」という)。
2015年の第7次医療法改正によって,次にいずれかに該当する医療法人に対しては,貸借対照表および損益計算書について,監事および公認会計士または監査法人から監査を受け,公告を行うことが義務づけられた(「医療法」第51条第4項ないし第6項)。
法第51条第2項の厚生労働省令で定める基準に該当する者は,次の各号のいずれかに該当する者とする。
一 最終会計年度(事業報告書等につき法第51条第6項の承認を受けた直近の会計年度をいう。以下この号及び次号において同じ。)に係る貸借対照表の負債の部に計上した額の合計額が50億円以上又は最終会計年度に係る損益計算書の事業収益の部に計上した額の合計額が70億円以上である医療法人
二 最終会計年度に係る貸借対照表の負債の部に計上した額の合計額が20億円以上又は最終会計年度に係る損益計算書の事業収益の部に計上した額の合計額が10億円以上である社会医療法人
三 社会医療法人債発行法人である社会医療法人
「医療法施行規則」第33条の2
省令基準は,この監査および公告義務を負う医療法人が準拠すべき会計基準として作成された(省令基準第1条)。すなわち,省令基準は,すべての医療法人が使用するものではなく,その対象が狭く限定されているのである。
このように作成された省令基準は,基本的に四病院団体基準と変わるものではないと考えられる。これはあ,省令の公布に先立って行われたパブリックコメントの説明では,「四病院団体協議会が平成26年2月に策定した医療法人会計基準を参考に」起草されたものであることが示されており(e-Gov「パブリックコメント:意見募集中案件詳細」),寄せられたコメントにも,厚生労働省は次のように回答しているからである。
Q. 本改正案は,基本原則であり,四病院団体協議会が策定した医療法人会 計基準の規定をどこまで適用するかがわからない。
A. 医療法人会計基準省令については,基本原則を規定し,より細かい規定については,現在の四病院団体協議会が策定した医 療法人会計基準を参考にし,運用指針として,通知します。
e-Gov「パブリックコメント:結果公示案件詳細」
医療法人会計基準が求められるようになった原因のひとつに徳洲会事件という不祥事があったことを踏まえれば,経済的な影響力が大きい医療法人に対しては,他の医療法人に対するものよりも詳細な形で財務状況を把握できるようなルールが必要であると思われるが,実際にはそうはなっていない。
省令基準はあくまでも基本原則であり,細かな規定については「自主規制」である四病院団体基準に委ねられているというのが,現在の医療法人会計基準の構造なのである。
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