2014年改正「医療法」により,厚生労働省令に定める一定の医療法人については,その作成する貸借対照表および損益計算書に対して公認会計士または監査法人による監査を受けたうえで,これらを公告することが求められるようになりました(「医療法」第51条第5項,第51条の3,「医療法施行規則」第33条の2ないし第33条の2の10)。公告とは,官報やインターネットなどの法令に規定された方法によって,一般公衆に対して情報を開示することをいいます(「医療法施行規則」第33条の2の9,第33条の2の10)。
公認会計士等の監査によって財務諸表が会計基準に準拠して作成されたものであることについて保証を受けること,そして,その保証を受けた財務諸表を公表されることというのは,企業流の経営管理手法を導入することによって,医業経営の透明化を図るという考え方に基づいて行われた措置になります。このような考え方は,たとえば内閣府の総合規制改革会議「規制改革の推進に関する第1次答申」(2001年,11頁)などに見られます。
そもそも企業会計では,なぜ会計情報を公開しているのでしょうか。情報公開さえすれば万事解決としてしまってよいのでしょうか。この記事では,企業会計の世界で会計情報を開示させる考え方が生まれた経緯を振り返るとともに,それが医療法人会計にそのまま適用できるものであるのか考えてみたいと思います。
開示主義の趣旨とその前提条件か
開示主義とは,必要な情報を開示させることが不正の抑止力になるという考え方で,企業会計の世界では,ブランダイス(Bradeis)の「太陽は最善の消毒薬であるといわれている。これと同様に,電灯は最高の警察官である」という著述が有名です(Brandeis, L. D., Other Peoples Money, and How The Bankers Use It, Frederick A. Stokes Company, 1914)。「電灯」がある状況下でも悪いことをする人はしてしまうのですが,「見られている」という状況によって行動を控える(自制する)人も少なくないでしょう。情報公開は,不正に対して直接対処しようとするものではなく,基本的には企業に自制を求めるための手段なのです。
企業(会社)は,登記をすれば原則として自由に設立することができ,その数も非常に多いです。政府がそのすべてについて詳細に調べ,不正を正していくということは現実問題として不可能です。そこで,企業会計の世界では,企業に対して情報開示を通じて自制を求めるとともに,それでも不正を犯してしまう企業に対しては政府が介入していくという二重のコントロール・システムが採用されているのです。
しかし,この方法で企業側の行動を自制させるためには,情報開示の他に,もう1つの条件がそろうことが必要になります。それは,開示された情報に対して,「社会からの目」が注がれること,いいかえれば企業に「見られている」状況を意識させることです。誰も見ていないとなれば,情報開示をしたところで,自制にはつながらないでしょう。
企業の場合は,投資者の「自己責任」がこれにあたります。企業が適切に情報を開示しているのであれば,それを見なかったり,理解できなかったりした場合であっても,投資者の責任として,損失を引き受けなければなりません。そうであるからこそ,投資者は情報を理解するために勉強をし,企業が開示する情報を必死に解釈しようとするのです。そして,企業はこの必死に情報を解釈しようとする投資者からの「目」を感じながら,行動を自制していくのです。
情報開示は,社会の病巣を直接叩くものではありません。「社会の目」を通じて情報を開示する者に自制を促し,不正を起こりにくくするという,一種の「緩和策」でしかありません。
医療法人会計公告制度の現状とその問題点
事業報告書閲覧制度の限界
医療法人が都道府県知事等に対して届け出た事業報告書等(このなかに貸借対照表および損益計算書が含まれます)が閲覧に供されることになった2007年以降,私たちは,たとえ医療法人と直接の債権債務関係がなかったとしても,医療法人の財務諸表を目にすることができるようになりました。しかし,この閲覧制度は,企業に対する情報開示制度のような,医療法人制度に対して自制を求めさせる性格のものにはなっていません。
第1に,医療法人が財務諸表を作成するために使用する会計処理のルールが定まっていないことです。会計処理方法にはさまざまなものがあり,その表示方法もさまざまです。医療法人に対しては,財務諸表の様式(表示方法)についての指示はありますが,その準拠すべき会計基準については,各医療法人の裁量に任されています。また,準拠した会計基準について表記が求められることもありません。最悪の場合,適切な会計基準に準拠することすらしていない可能性も否定できないのです。
第2に,事業報告書等は単に届け出られたものにすぎないということです。届出というのは,医療法人が提出したものをそのまま受け取るという意味で(「行政手続法」第2条第7号),都道府県知事等がその内容をチェックし,誤りを指摘するといったことは行われません。閲覧した情報がどの程度信じられるものなのか,その閲覧者には判断できないのです。信頼性の低い情報を積極的に利用する人は多くありません。それだけ「社会の目」が弱くなります。
第3に,情報へのアクセシビリティが悪いということです。都道府県知事等に届け出られた事業報告書等を閲覧するためには,都道府県知事等の指定する場所(都道府県庁など)に行くしかありません。情報へのアクセシビリティが悪いことは(面倒なことは),それだけで人々が情報を目にしようとしなくなる理由になります。
医療法人の経営状況に対する人々の関心
2014年の「医療法」改正で,厚生労働省令に定める一定の医療法人に対して,準拠すべき会計基準が制定され(厚生労働省令「医療法人会計基準」),公認会計士等の監査を受けることが求められるようになりました。財務諸表の公告を行うことも義務づけられ,対象となる医療法人については,会計に対する意識が否が応にも引き上げられ,①会計基準の問題,②チェックの問題,③アクセシビリティの問題が解消されたようにも見えます。しかし,これをもって医療法人の自制が求められるようになるかといえば,必ずしもそうではないでしょう。
それは,情報開示制度自体というよりも,開示された情報を見る側をどのように想定するかという部分での問題です。企業会計では,投資者が自己責任原則のもと,自らが損失を負わないために必死に情報を分析するという前提で,情報開示が行われています。それでは,医療法人が開示する会計情報を,ここまで必死に分析する利用者がどれだけいるのでしょうか。企業のところでも触れたように,開示された情報に対して関心を持たれていなければ,自制にはつながらないのです。どれだけ明るいところでも,そもそも人通りが少なければ,不適切な行為はなかなか減らないのです。
医療法人に対する人々にとって,最大の関心事(利害)は自らが健やかに過ごしていけることでしょう。国民皆保険制度を背景として,保険診療についてはその価格(診療報酬)が公定されており,医療機関によって価格が変わるということはありません。このことも,医療法人に対する人々の経済的な意味での関心を削ぐひとつの原因となっているでしょう。医療法人の経営状況が問題になるのは,その医療法人が倒産等のリスクにさらされており,「病院がなくなるかもしれない」といった恐怖を感じているときくらいではないでしょうか。
おわりに
開示主義に基づく規制は,法人に対する自制を求める補助的なものであり,その効果は「社会の目」の量と強さに左右されるところがあります。その経営状況が投資者の経済的な利益と連動する株式会社の場合とは違い,医療法人の経営状況は人々の経済的な利益とは直接リンクするものではありません。この意味では,現在の国民皆保険制度を前提とできる限り,医業経営の健全化を図ろうとするならば,都道府県知事等による監督の強化(届出で済ませていたところに何らかのチェックを加える)を検討することが重要になるでしょう。そうでなければ,「企業流」の情報開示制度は単なる「ガス抜き」に終わってしまう可能性もあります。
ただし,現在は,マクロ経済の状況が年々悪化していること,社会保障財源が逼迫化していることなどから,この国民皆保険制度をどれだけ維持していくことができるかについて揺らぎが生じている部分もあります。もともと医療法人制度が資金集積の手段として生み出されたことに立ち返って考えれば,今一度,医療法人の形が考え直される時期も訪れるかもしれません。そのときに備えて,会計情報の開示制度についても,引き続きアップデートを行っていくことが必要となるでしょう。
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この内容にについては、2021年に論文「医療法人に係る会計ディスクロージャー制度のねらいとその限界―会計情報に対する「世間からの目」の違いに着目して―」を発表しています。その内容について、別に記事を作成していますので、そちらもご覧ください。
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