医療の非営利性について
わが国の「医療法」では、営利を目的とする者が、病院、診療所などの医療提供機関を開設することはできないと解されています。病院、診療所などの医療提供機関を開設するには、開設地の都道府県知事から許可を得る必要がありますが、「医療法」では、都道府県知事に対して、営利を目的とする者には、その許可を与えないことができると定められているからです(第7条第6項)。1993年には、医療提供機関の開設後に、その実質的な経営が営利を目的とする者に移っていないか(非営利性が開設後も維持されているか)を確認すべき旨の通知が発せられており(厚生省健康政策局総務・指導課長連名通知「医療機関の開設者の確認及び非営利性の確認について」(平成5年総第5号・指第9号))、少なくとも制度上は、営利目的で医療提供機関を開設・運営することは認められていないと理解して問題はないでしょう。
医療の非営利性が求められるようになった背景
新田(1998)は、このような医療の非営利性が求められるようになった経緯について、次のように整理しています。
① 昭和初期の段階において、医療の企業化・営利化傾向は、医療機関の都市集中、低所得者層の受療困難化等の問題の深刻化を生み出していたこと。
新田(1998)「医療の非営利性の要請の根拠」名古屋大學法政論集、第175巻、27頁。
② こうした問題は、営利法人の医療への参入によってではなく、我が国資本主義の発展に伴い、主として開業医自身が事実上営利を目的として医業を行う傾向を有したことで生じたこと。
③ 実費診療所や医療利用組合は、営利法人とはいえず、むしろこうした開業医の営利化傾向への批判としての意義をもっていたこと。
④ それにもかかわらず、こうした実費診療所等の活動に危機感を抱いた開業医・医師会サイドの運動を受ける形で医師法の改正及び診療所取締規則の制定がなされ、医療の非営利性の名目の下、医師以外の者の医療機関の開設が許可に係らしめられることとされたこと。
⑤ 改正法案を提出した政府側は、医業が利潤を生じ得ることを前提としつつ、営利目的の判断に当たっては、医業により利潤を上げることを目的としているかどうかに重点を置いていたと考えられること。
開業医も生業として業務を行っている以上、開業医も生活のために利益を稼いでいく必要があります。このため、医療提供のために利益を稼いだという「結果」を否定することはできなません。そこで、医業から生み出される利益ではなく、営利志向を強める医師会・開業医の対抗勢力となる巨大資本(篤志家や企業)を「営利目的で活動する存在」とみなして、これらを排除しようとしたという説明は、「昭和初期」から100年近く経った現在でも十分な説得力をもっているように思われます。
株式会社の医業参入に対する日本医師会の見解
2000年代に規制緩和の一環として、株式会社の医業参入が議論されたことがありました。その際、これに反対する立場にあった日本医師会は、株式会社が医業に参入することの問題点として、次の5点を掲げています(日本医師会(2009))。
- 収入の拡大やコストの圧縮を追求するあまり、乱診乱療、粗診粗療が行われかねず、安全性への懸念が高まる。
- 不採算な患者や部門、地域からの撤退や、医療機関経営自体から撤退する可能性がある。
- コスト圧縮には限界があるため、保険給付範囲の縮小、自由診療市場の拡大が要請される。
- 患者情報が顧客情報として活用され、患者(顧客)の囲い込みが行われる結果、いつでも、どこでも同じ医療を受けられる権利が失われる。
- 医療費の高騰、保険料や患者負担の増大により、低所得者が医療から締め出されるおそれがある。
日本医師会の主張は、ほかにもさまざまなところで出されていますが、「会社は利益を追求するために、医療の質を低下させ、国民の負担を増大させる」というのが一貫したメッセージになっているように思われます。
このようなメッセージに対して、私は、率直に言うと、「自分たちはどうなんだ?」とずっと思っていました。少なくとも2については、株式会社の医業参入がほとんど行われていない現在でも大きな問題で、かつ、年々その問題は大きくなっています。3についても、保険が適用されない評価容量や選定療養において大きな収益を上げている医療機関もあり、5にもあるように、患者の所得ごとに受けられる治療が変わってしまうというのも現実としてあるからです。
医療ビジネスの拡大に思うこと
人々の不安を利用するビジネスの隆盛
「お金を出させるには理由が必要」なわけですが、生活に必要な物資が十分にいきわたるようになった現代では、この「お金を出させる理由」づくりが非常に大変です。「子供や孫」を前面に出したり、ブームを作って「周囲にあわせようとする」本能をくすぐったりと、いろいろな「理由」が使われてきましたが、人間同士の関係性が失われ、ひとりひとりが「孤立」するようになった現在、「不安を煽る」というのも立派な「商売道具」になってきました。健康問題というのは、「誰にでも訪れる不安」であり、「安定した顧客」を望めるマーケットであることもあって、虎視眈々とねらっている人というのは少なくありません。
新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大にともなって、社会的に先行きが見えなくなっている今も、大きな「ビジネスチャンス」が訪れています。楽天やソフトバンクが「民間PCR検査」を謳ってビジネスを行っていますが、医師でないために確定診断を行うことはできず、「陽性結果」が出た場合には医療提供機関を受診する必要があるということで、受診前に「上前を撥ねる」かのようなビジネスモデルとなっており、民間企業が個人の生体情報を収集できてしまえる状況になってしまっています。
しかも、これらの活動に医師免許を持った人が参画しているというのが話をますます混乱させている気がします。医師免許を持った人の参画がなければ「企業が勝手なビジネスを行っているだけ」で済ませることもできてしまいそうですが、このような人々の参画があることで世間的な信憑性があがってしまうというのは大きな問題です。現在では、出版社やマスコミを介して、このような「信憑性があるようにみえるもの」が公然と拡散される状況になっており、「標準医療」を否定して、「代替医療」を望む人も無視できないほど出てきてしまっている状況です。
「医師法」では、欠格事項(第4条)に該当するか「医師としての品位を損するような行為」(第7条)が確認されない限り、医師免許をはく奪されることはありませんが、このような「ビジネスに参画する」ことについては、これが医療提供機関で行われていない限り、あまりコントロールされていないように見えます。このような状況のなかで、資本力のある大手企業やマスコミを利用する(または大手企業やマスコミに利用される)形でマネタイズを行う「医師」がビジネスに参画することによる弊害は、このような社会的危機のなかで容認しえないレベルに達しているものと思われます。
日本医師会も『医の倫理綱領』において、「医師は医業にあたって営利を目的としない」(第6項)と規定していますが、営利を目的としない範囲は「医業」に限定されており、「医業」の外で行われた活動については沈黙を守っています。
医療提供機関が資本力・広報力を持つべきか
現在の法令上、「医療の非営利性」という言葉は、医療提供機関や医療法人を規制するための言葉として使われており、個々の医師を規制するようなものにはなっていません。医師であっても生きていくためのお金は必要であり、そのために利益を得ようとするのは当然であるからです。そして、「医師」が行うビジネスについては、制度上も、業界団体の自主規制としてもグレーゾーンのままになっています。
そのようななかで、日本医師会が懸念したような「株式会社による医業参入」の問題点が、検査制度にも疑問があり、保険診療の枠外で、利益を追求した「医業ビジネス」という形で露見するようになってきました。病院、診療所等で行う診療行為を行うことができなくても、「医師」という肩書きに対する信頼性を利用した「医療ビジネス」で「上前を撥ねる」ことによって、民間企業が利益を稼ぐという目的を達成できてしまっているわけです。
現在、わが国では、伸び続ける国民医療費を抑制するため「予防医療」を支援するような取り組みが行われています。このような「予防医療」に係る業務は、医療法人が行うことのできる業務にも随時追加されてきましたが、スポーツクラブや温泉施設の運営等、これまで企業が行ってきた業務と重複するものも少なくありません(「医療法」第42条)。政府が予防医療まで含めた医療・福祉サービスの一体化のために「ホールディングカンパニー」構想を提唱したこともありましたが(社会保障制度改革国民会議(2013)、28頁。現在の「地域医療連携推進法人」)、企業において持株会社の意味で使用される「ホールディングカンパニー」という言葉に対する抵抗感から、厚生労働省の審議会ではこれに営利企業の参加を認めないこととしたため、「医療ビジネス」を医療業界に「飲み込む」という選択肢もなくなってしまいました。
いわゆる「ビッグバン」以降、経済界と親和的な政策がとられるようになっているなか、「医業ビジネス」やそれらにに関与しようとする医師を、政府にコントロールしてもらおうと期待するのは難しい状況にあります。剰余金の配当が禁止されている医療法人は、株式会社のように不特定多数の投資者から出資を集めるということが非常に難しい状況にあります。また、医療提供機関に対しては、厳しい広告規制も課せられており(「医療法」第6条の5ないし第6条の8)、医療に係る情報を自由に発信できる状況にはありません。これでは、資金力にしても、広報力にしても圧倒的に強い「医療ビジネス」に対抗することは到底できないでしょう。
医療提供施設や医療法人に対して「医療の非営利性」を求めることにこだわり続けた結果、現在、拡大し続ける「医療ビジネス」への対抗勢力がほとんどない状況にあります。「医師免許を持つ人」の利益追求行為を客観的に確定することができない状況において、「医業ビジネス」が最終的な責任と治療を医療提供機関に押し付け、フリーライドできてしまうような現状を放置しておくことが望ましいとも思えないのです。
「医療の非営利性」を謳いながら、その一方で「実質的な配当」を通じて理事長一族が利益を得ているといった指摘がたびたび行われている現状をみるに、医療提供機関・医療法人の立場と医師の立場を都合よく使い分けている「医療の非営利性」に固執しすぎると、結果として、一部の悪意ある人物や企業のために、医療全体に対する信頼が失われてしまう結果となってしまうのではないかなと感じています。
参考文献
[1] 新田秀樹(1998)「医療の非営利性の要請の根拠」名古屋大學法政論集、第175巻(名古屋大学学術機関レポジトリ)。
[2] 日本医師会(2009)「医療における株式会社参入に対する日本医師会の見解」(日本医師会ウェブサイト)
[3] 日本医師会(2016)「医師の職業倫理指針(第3版)」(日本医師会ウェブサイト)
[4] 社会保障制度改革国民会議(2013)「社会保障制度改革国民会議報告書~確かな社会保障を将来世代に伝えるための道筋~」
コメント
私立大学、県立大学、国立大学も非営利団体だと思いますが最近はビジネス活動をしていませんか? 効率的に簿記検定を取得できることをシラバスでうたうのも見ました。つまりでる順授業です。はっきりいうと民業圧迫ではないでしょうか。病院や医師を取り上げるのはご専門だから仕方がないですが大学関係者は自分たちのことについては触れないのは説得力がないです。厳しい意見でお気を悪くされたかもしれません。先生のHPからいろいろ学んでいます。日本語がおかしいのは許してください。
コメントありがとうございます。
ご指摘の内容がよくわからないのでもう少し詳しく教えていただけるとありがたいです。
民業圧迫している大学に勤める人間に医療法人の話をする資格はないということでしたら
この記事の内容とはまったく関係のない、ただの難癖ですのでおやめください。
立場や所属といった先入観で議論の是非を判断するのは大人げないと思います。
日本語がおかしくてごめんなさい。
もうすこし文章を勉強してからコメントをする必要がありました。
先生のご指摘された医療の非営利性を教育の非営利性と置き換えるとわかっていただけるのではないかとおもったのです。
私は医療機関ではない社団法人のたちばで患者の方向けのサービスに取り組んでいますが、いろいろなところ(省庁など)で「独立採算」を求めらます。
目的は非営利で活動は営利でサービス提供できるようがんばっています。
大学の方にも助けてもらっています。
医療ビジネスに参入する会社の中には、同じようなところもあるのではないでしょうか。
難癖にならないように説明をしたつもりです。
気分を害さないでください。
本当に先生の研究を尊敬しています。
(このコメントが最後です。これからはコメントしないです)
コメントありがとうございます。
営利企業であろうと非営利組織であろうと活動のためにはお金が必要である点に変わりはなく、
そのためにはたとえ非営利組織であっても営業行為が必要になるのは仕方のないことだと思っています。
とりわけ、今日のように、非営利組織に対しても自助努力が求められるこのご時世にあっては。
現在の政府の立場(公益法人改革)では、営利・非営利の区別を事業の営利性ではなく、
剰余金の分配を行っているかどうか、ガバナンス体制がどのようになっているかによって判断することとなっており、
事業の営利性についてはその判断基準に含まれていません。
これが非営利組織の営利事業への参入、営利企業の非営利事業への参入につながっている大きな要因です。
このような組織の非営利性と事業の非営利性は、あくまでも制度上の「口実」であって、
多くの人には理解(納得)されないものであろうと思います。
実際、医療法人は「自分の領域を荒らされないため」という営利・非営利の目的とはかけ離れた目的のために
医療の非営利性を利用してきましたし、企業もそのような障壁があったからこそグレーゾーンの事業を
拡張してきました。
私は、このようなどちらの立場からも都合よく解釈できる考え方は撤回して、
営利・非営利という制度上の口実を見直すべきなのだろうなと思っています。