簿記教育を勘定記入の法則からスタートするのはもはや悪手ではないか

簿記大学での学び
《広告》

わが国の簿記教育では、伝統的に、勘定記入の法則を使って仕訳の考え方を教えるところからスタートするというやり方が行われてきましたが、私はこの勘定記入の法則から入るというやり方に対しては、年々懐疑的になってきました。このやり方では、基本財務諸表である貸借対照表と損益計算書、それらを構成する資産・負債・純資産・収益・費用、そして、それらのそれぞれに設けられるさまざまな勘定、借方・貸方という2つの記入欄と、新しい言葉や考え方を一気に覚えることが必要になりますが、このような身近でない概念を初手から大量に覚えさせるというのは、初学者にとって非常に酷なのではないかと思っています。

このような先に概念を教えておいて、後から個別の取引の仕訳を学んでいくという演繹的な進め方は、効率的か・非効率的かといえば効率的な方法であるとはいえるのですが、①最初に出てくる概念が膨大すぎて、興味をもつ前に嫌になってしまう、②後に個別の取引の仕訳を学習したときに最初の基礎概念に立ち返って全体とのつながりを理解する学生はそこまで多くない(このような理解の仕方をするのは案外難しい)という2つの理由から、どちらかというと簿記に抵抗感・嫌悪感をもつ学生を増やしてしまっている原因になっているのではないでしょうか。

この記事では、簿記教育を行うにあたってどのような形で導入をはかったらよいか、私が現時点で考えていることを書き連ねてみます。

「分かる」ということ

人間が「分かった」と感じることができるのは、頭のなかにある知識と、学習によって新しく得られた情報が結びついたときだといわれています。

どれだけ世のなかに役に立つことであっても、自分の頭のなかにそれを受けとめる環境(レセプター)が整っていなければ、新しい情報を受け止めることができず、どこかに流れていってしまいます(記憶が定着しません)。

分かるということ

しかし、残念なことに、はじめて簿記を学習する人は、頭のなかに新しい知識を受け止める環境がありません。はじめて学習するのですから当たり前です。このため、初学者に対しては他の手段を考える必要があります。

身近なところから入るのが自然

ひとつの方法は、身近な事例を使って簿記を説明していくというものです。経営学の講義では、名の知れた企業の活動や経営者の実績を紹介するところから入りますし、マーケティングの講義では、ヒットしている商品や広告手法を紹介するでしょう。これと同じように、すでに学生が知っていること(新しい情報を受け止める環境(レセプター)がある内容から入る)から入っていくことで導入のハードルを下げることができます。

もちろん大学の講義などでは、オリエンテーションとしてこのような話がされることも多いですし、私もそのような話をします。しかし、その類の話はオリエンテーションで終わってしまって、いざ本題に入ったら、財務諸表とは、勘定記入の法則とは、……といったように身近な話とはかけ離れた話が始まってしまいます(多くの教材がそうなっているので仕方がないのですが)。これでは、オリエンテーションの話と簿記の話を結びつけることが難しくなってしまいますし、履修が定まっていないオリエンテーションの時期しか興味をもてる話をしない「オリエンテーション詐欺」と思われても仕方がありません。

「習うより慣れよ」も大切だ

もうひとつの方法は、最初から理屈で理解させようとせずに、実際に(大量の)記帳を行わせてみて経験値を積ませるというものです。外国で作成された教材をみると、挨拶だけで何十問も似たような問題を解かせるといった導入の方法がとられていることが多いようにみえます。これは簿記だけではなく、英語学習用の教材を見ても同じような印象です(無料で体験できるインターネットサイトもたくさんありますので、いくつか実際にやってみるとよいでしょう)。

さまざまなバックグラウンドをもつ学習者があるまる外国では、同じ講義を受ける学生の大部分に共通する「原体験」を見出すことがわが国よりも難しいので、上で述べたような「学習者にとって身近な事例」を使う方法がうまくいかないことも多いのでしょう。

個人の尊重という旗印のもと共同体が徐々に解体されてきたなかで、大学教育の世界でも、共通する原体験を使用して講義をすすめることは年々難しくなってきています(マンガやアニメ、野球などをツカミのネタに使っても理解されないことが増えてきました)。まずは経験を積ませて、ある程度経験値がたまったところで種明かしをするという帰納的なアプローチは、今後、わが国で簿記教育を続けていくうえでも重要になってくるものと思われます。

新年度の講義に向けて

春休みに入り、私も新年度の講義に向けて準備を始めています。2020年度は、春休み中に新型コロナウイルス(COVID-19)の感染が急速に広まり、まともな準備期間もなくオンライン講義になだれ込んでしまいましたが、今年は、新年度が始まるまでに十分な時間があります。突然のオンライン講義でうまく対応できなかったことなども踏まえながら、講義計画のオーバーホールを行っています。

現在、2021年度の簿記講義については、現金出納帳の記録を行ってもらうところからスタートすることを考えています。お小遣い帳をつけたことがある学生はそれを思い出すだけですし、たとえその経験がなかったとしても、預金通帳などで大まかな記録のされ方はほとんどの学生が知っている(レセプターをもっている)内容です。現金の増減だけでなくその理由をあわせて記録するであるとか、増加額と減少額は別の列に書くであるとか、増加と減少を集計した結果が残高になるであるとか、複式簿記上で行われる勘定記録とも通じるものがあるでしょう。

2019年度に発刊した『初級簿記教本』では、通常、現金の単元のなかで説明される現金過不足や小口現金を後回しにして仮払金・仮受金と一緒に説明したり、冗長になるのは承知の上で商品売買取引の仕訳を代金の決済方法と組みあわせて説明したりといった構成上の工夫を図りましたが、導入部分についてはまだ改善の余地があると思っています。講義を行うことによってはじめて得られる知見も踏まえて、学習者に初手から抵抗感・嫌悪感をもたせないようなスタートの仕方を見いだせたらなと考えています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました