和光大学経済経営学部55周年記念誌が公刊されました。この記事では、この55周年記念誌に寄せて執筆した論文「医療法人に係る会計ディスクロージャー制度のねらいとその限界―会計情報に対する『世間からの目』の違いに着目して―」を紹介します。
医療法人に対する会計規制として開示主義は有効なのか?
この論文のテーマは、「医療法人に対する会計規制として開示主義は有効なのか?」という点にあります。
わが国では、2000年代に入ってから構造改革・規制緩和の一環として、医業経営に関しても企業流の管理手法を導入することがすすめられてきました。会計規制についても、2000年代から一進一退の議論が進められてきましたが、2010年代初頭に社会問題となったいわゆる「徳洲会問題」を受けて、一気に制度改革が進められました。
2015年に行われた第7次「医療法」改正では、厚生労働省令に定める一定の医療法人に対して、貸借対照表および損益計算書の公告が義務づけられることになりました(「医療法」第51条の3)。公告される財務諸表は、会計基準(厚生労働省令「医療法人会計基準」)に準拠して作成し(「医療法」第51条第2項)、その準拠性について公認会計士または監査法人の監査を受けなければなりません(「医療法」第51条第5項)。
それまで医療法人の財務についての監督は、都道府県知事のみが行うこととされていました。医療法人は都道府県知事に対して財務諸表を届け出て、何か問題があれば都道府県知事が問題を指摘し、対応を求めるというやり方です。今回の財務諸表の公告は、これとは根本的に考え方が違う「社会からの目」を利用した監督方法になります。公告を行わせることにより、「外からどのようにみられるか」を意識させ、医療法人側に不適切な行為を自制させることが狙いになります。上からコントロールしようとするではなく、自制心に訴えるわけです。
このような会計情報の公開を通じて、不適切な行為を抑制していこうとする考え方のことを開示主義といいます。開示主義による規制を制定するにあたって大きな影響力を与えたとされるブランダイスは、その著作のなかで次のように語っています。
社会や産業界の病巣に対する特効薬としては公開性(publicity)が推奨される。日光が最善の消毒薬であるといわれるように、伝統は最も有効な警察官となる。
Brandeis, L. D., Other People’s Money, and How the Bankers Use It, Frederick A. Stokes Company: NY, 1914, p. 92.
第7次「医療法」改正は、このような企業に対する会計規制の仕組みを医療法人に対する規制にも採り入れていこうとするものですが、医療法人に対しても、企業を相手にする場合と同じような抑止効果を期待することができるのでしょうか。
医療法人が公開する財務諸表に「世間の目」は注がれるのか?
結論からいえば、このような施策は「情報公開がなぜ機能するのか」が十分に考えられておらず、期待される効果を発揮しないものと思われます。
企業に対する会計制度には、すでにこのような考え方が採り入れられており、公表されている情報を読んでいなかったり、理解しようとしていなかったりした結果として生じた損失については、投資者をはじめとする利害関係者側の自己責任とみなされるようになっています。企業が公表する財務諸表に対して投資者等から厳しい目が注がれるのは、世のなかのためではなく、しっかりと内容をチェックしないと自身が損してしまう可能性があるからです。
現在の医療法人制度は、株式会社のように不特定多数の投資者から投資を受け入れることが想定されていません。受け入れた投資に対するリターン(配当)を支払うことが禁じられているところからみても明らかでしょう(「医療法」第54条)。ほとんどの医療法人は、限られた人数の理事会主導で運営されており、所有と経営が分離されていません。理事会のメンバーと社員総会のメンバーがほとんど変わらないということも普通にあるのです。したがって、自己責任というリスクを抱えながら、外部から厳しい視線を注ぐ投資者の存在というのは、医療法人の場合、ほとんど想定することができません。
また、わが国の医療法人は、国民皆保険制度のもとで一定の収入が保証されています。医療機関に対して支払われる診療報酬の額は、医療法人等の経営状況を横目にみながら政府主導で決められています。医療法人の経営状況は、株式会社における株主のような個々人の存在ではなく、政府によってかなりの程度コントロールされていることもあり、医療法人経営側も「社会からの目」を無視したところで特段の問題が生じないようになっています。
思うことなど
「仏作って魂入れず」という言葉がありますが、形式的に制度を採り入れたところで、そもそもその精度がどのような背景のもとで、どのような効果を期待して設けられたものなのかを理解していなければ、ルールは形骸化していきます。そもそも医療法人制度は、「医療法人は民間企業とは異なる」という前提で構築されているのですから、この違いを無視して企業流のディスクロージャー制度を設けても機能しません。
規制側は「企業流の管理手法を導入した」ということに、医療法人側は「ターゲットが外れた」ということにそれぞれ満足してしまうと、第7次「医療法」改正における会計規制は空振りで終わってしまうことになるのだろうなあと思います。
この論文は、修士論文「アメリカにおける会計ディスクロージャー制度の成立に関する一考察」で取り扱った開示主義の理念と、国際医療福祉大学への就職を機にはじめた医療法人会計の内容とを組み合わせたものです。和光大学経済経営学部55周年記念誌という、ひとつの歴史を刻む書籍に掲載するにあたり、自分の研究の一端をまとめるつもりで書いてみました。書店で販売されるほか、オープンキャンパスなどでも配布されるようですから、機会があればぜひご一読いただければ幸いです。
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